こんにちわ!

こんにちは!

私のウェッブサイトがこのところダウンしていました。どうもサイバーアタックにあったらしく新しく構築する必要があるそうです。

今日から閲覧が可能なはずですのでよろしくお願い致します!このブログに掲載されているコラムの英語版も閲覧可能です。

セッションはニューヨークのオフィスとスカイプで行なっていますのでこの地球上の

どなたでも参加できるようになっています。日本語と英語のセッションが可能です。

是非ご連絡をくださいね。

さて最近気がついた事があります。それは周りの人たちでものごとに制約を作る方たちが本当に多い事です。

まず恋愛においてですが、もう絶対に彼には連絡しないとか言う方がいらっしゃいます。ソーシャルメディアでブロックしたり。

ブロックは私もした事がありますが。それは公衆の場面でプライデートな事を話したり不適当な事を言う人たちです。

でも恋愛においてのこのブロックは相手がどうしているか知りたくないとか自分がどんな感じか知られたくないとか。とにかく顔を見たくないとか気配を感じたくない。

それはどうしてかと言うと辛いからです。気になってしまうのに気にしたくないから、あんなに辛い想いをもう味わいたくないと言うのが本音なのです。

ダイエットでもそうです。制約です。これは食べないとかこれしか食べないとか。全く食べないとか。

私はエネルギーリーダーですのでいらした方のエネルギーが伝わってくるのですが絶食している方のエネルギーはとっても特殊だったりします。

ある種の高揚感、疲労感、そして満足感。それが全部極限のような状態だったりします。よく拒食症の方がエネルギーや高揚感を感じたりとても明るく振舞ったりしますがそのエネルギーと同じだと思います。

意思が強い方は本当にいらしてとても辛いダイエットに耐えたりします。我慢のない人間なので良く耐えられるなあと思ったりします。やっぱり我慢は美徳だとされているのが普通ですね。

耐えるのが偉いと言うのは本当に定着した考え方だと思います。でも本当でしょうか。

特に仏教国では苦労や苦悩、苦しみは美徳なのです。それはやっぱり例の修行の精神から来ているのだと思います。

辛い想いをしていなければ認められないと言えるほどです。

逆に楽しんでいる人はターゲットになったりするのです。出る杭は打たれるというやつですね。

農耕民族の特徴であるとか、例の年貢を納める際の組のシステムでお互いを見張るシステムがあったり。

楽をしているのが分かるともっと払って欲しいと言われるので良い思いをしている事は知られたくないとか。

黒澤明監督の7人の侍にもそんな描写が出てきます。日本だけでなくたくさんの文化が地味に生きる事を教訓としています。

地中海では嫉妬の目から身を守る目のお守りがあったりします。きれいだったり恵まれていたりすると嫉妬されたり悪い事が起きるというのは世界共通的にあるのですよね。

毎日型にはまった決まった生活をこなしたり同じものを食べたり。それは安心感を与えます。枠組みの中で生活する事は考えたり迷ったりする事をなくします。

多分下等であればあるほど動物は毎日同じ事を繰り返して生きているのでしょう。

でも人間は違います。毎日同じ事をするのに飽きたり疑問を持ったりします。変化を求める動物なのです。

それでも私たち人間のどこかの部分では同じ事を繰り返す事が一番楽な事と知っていたりします。

そんな時、制約とか決まりとかしきたりとかは便利なのです。それは自然な事だと思います。

決まりを作ると考える事をなくします。だから迷う事もなくなります。だからそうする事を選んだりするのです。

もう絶対こうしない!それは深く傷ついたからです。その思いを2度と味わいたくないからです。

でもそれを決める時には潜在意識は働いていないと思います。本能にしたがって自分の身を守るために防衛本能のために何かを断ち切る。

それは創造性/クリエイティビティとは相反するものだと思います。必要最小限という処置ですね。

そしてその動機は傷つきたくないというネガティブなものだと言わざるを得ません。

そしてそれは潜在意識とは関係ないと言わざるを得ません。潜在意識とはハイヤーセルフの事ですから高次の自分が傷つくことから逃げる事を動機に決断したりはしません。

こんな時、私は実は決めません。何かがこれは違うとか嫌だと思ったりします。でもそこであんな思いは嫌だからもう会わないとかもう連絡を取らないとかは決めないのです。