こんにちは!
たくさんの人たちが色々な考え方を持って生活しているニューヨークシティ、世界中から人が集まるところだからこそたくさんの文化や価値観が交錯しています。
宗教と言うのは信心深い方でなくてもその人の考え方に本当に影響を与えるものです。
私は日本の小さな町で生まれて育ちましたが信心深い家族ではな決してなかったのです。
そんな私が宗教が自分の考え方に絶対的な影響を与えている事に気がついたのはアメリカで社会福祉の修士号を取るために学んでいた時でした。
自分の価値観がアメリカのスタンダードからはかけ離れていると気がついた事はもっと前からでした。
アメリカ人の中流家庭で育った元夫と付き合い始めた時もその前にボストンに一年住んだ時も自分の考え方がアメリカのスタンダードとは違うと言う事は承知していました。
もちろんです。違う国から来たら違った考え方があるはずなのです。アメリカから遠く離れた日本と言う国で育ち日本がどんなに保守的な国であるかも知っていました。
しかしながら仏教や神道の事は実はあまり知らないで育ち、アメリカに住むようになってからアメリカ人に聞かれたりする事から勉強し始めたと言う感じでした。
知ってみると色々な習慣が宗教から来ている事が分かったりしたのですが修士号の時に本当に掘り下げて心のあり方と文化の関係を学ぶようになってから宗教が自分の考え方の根底に影響を与えていると知りました。
私が言っている事は宗教に反する意見でもありません。宗教が私たちに与えている良い影響も理解しています。宗教によって救われている人たちは本当に素晴らしいと思います。
セラピーなどよりも宗教が自分を救うと信じる方たちは是非それを信じて進んでくださいね。
その上で私の宗教の背景による心のあり方の意見を書いてみようと思います。
仏教にも色々な考え方があるので一概に決めつける事は出来ません。私なりの解釈や自分の育った環境での仏教の影響を書いてみたいと思います。
まず仏教の基本的な考え方には生まれ変わりがあります。今生きている人生の事を今生(こんじょう)と言いますが今生に生きていると言う事はすなわち前世で悟りを開けなかったからです。
悟りを開けなかったと言う事はすなわち未だに修行中だと言う事になります。
もっとはっきり言えば前世で失敗したから今、今生に生きていると言う事になります。
今生きているだけで失敗者なわけです。そして修行中の身です。そしてもっと言えば人生とは修行なのです。
修行であれば絶対に楽しくありません。東アジアの考え方で修行が楽だとか楽しいと言う考え方はありませんよね。
アメリカ人で日本をよく知っている人などは日本人が修行をする時に例えば陶芸なら陶芸の師匠の後ろで5年くらいずっと見ているだけだと茶化して笑ったりします。
アメリカならそんな修行を全うしたい人はいません。
前世で悟りを開けなかったのだから今生ではもっと頑張って悟りを開けるようにとなります。
人生自体が修行であると言う考え方ですから人生をエンジョイすると言う考え方はないと言わねばなりません。
明日のコラムに続きます。
素晴らしい1日を!

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