天罰は存在しない



こんにちは!

最近、気になるトピックがあったのでちょっと書いてみようと思います。皆さんは罰を信じますか。悪い事をすると神様に罰せられるとは広く知られているコンセプトです。日本でもよくそんな事をするとバチが当たると言いますね。

日本で生まれて育った私もバチが当たる事は信じて疑わず、だからこそ良い行いをしようと。そして続けようと思ったものでした。これは心理学では明らかにマイナスのコンセプトです。

悪い結果を恐れるために自分の行いをよく保つ。まさしく負のモチベーションなのです。でも社会ではこのコンセプトが強く信じられていて、そしてもちろんこの負のモチベーションこそが一番効果的なのです。

ほとんどのセールスがそうです。このクリームを使わないと5年後にシワだらけになるとかこのシミを放っておくとやがて大きくなってすごく目立つようになるとか。そう言われるとつい買ってしまうと言う具合に。

このコンセプトだと今はまだ言いけれど将来は大変な事になるとか将来によくない事になるとかとにかく簡単に言えばよくない事、しかも最悪の事が起こる事を想定してそれを防ぐために今何とかしようと言うわけなのです。

引き寄せの法則的に言えば悪い事が起こる事を想定した時点で悪い事を引き寄せる事になると言う理論、これはもう有名です。でもほとんどの人が恐怖こそが最大のモチベーションだと信じているのです。そしてそれは効果的です。

たくさんの人たちが世の中の広告の仕組みは全てこれで成り立っていると言います。ローカルニュースやメディアは私たちに恐怖のコンセプトを植えつけてたくさんのものを売ろうとしていると言います。本当かも知れませんね。

コロナもそうです。メディアはいち早くこのパンデミックを予想しそしてそれに備えるようにと警告しました。知っての通り除菌効果のあるハンドサニタイザーは売り切れてしまっていたし赤ちゃんのおしりふきも売り切れると言う事態にいち早くなったのでした。

ニュースをあまり見なかった私は完全に出遅れてしまい気がついた時にはハンドサニタイザーは手に入らず、アルコール消毒剤などで代用したのでした。それでももちろん全く問題はなく家族は皆健康なので問題はないですが。

もともと催眠療法で人生を変えてから風邪もひかない私です。うちの小さい子供たちが幼かった時も家の中の養子の若人たちが風邪で寝込んでいる時も私一人元気。おばさんだけはいつも元気というおかしな状況なのです。

だからこそ強く信じるのは体の免疫の強さは自分の持っているエネルギーによって如実に左右されると言う事です。

年を取ってきているのに若い時よりも風邪をひかなくなったのは尋常ではありません。以前は少しのことで風邪をひいたり体調を崩す事が普通だったのですから。

うちの小さい子供たちも実は今日、小学校の卒業式だったのですが幼稚園の頃から皆勤賞です。確か双子の娘の方が一日休んだだけです。小さい頃から熱を出した事もありません。

日頃から心がけている事はとても簡単です。よく休み、よく食べる。それだけではなくエネルギーにはとても気を配っています。悪い感情を持ち続けない、ストレスをためないなどですね。

それだけで本当に健康に過ごす事が出来ます。

さて罰の話でした。私はこの世の中に罰があると信じていません。罰があると信じるとどうなるかと言うと自分のやる事や自分の良し悪しを誰かに評価されていると言うコンセプトの上に成り立っている事は否めません。

今の社会ではジャッジメント、すなわち誰かが他の人の良し悪しを決定する事を良しとしていません。なのに罰のコンセプトはこのジャッジメントを受け入れるコンセプトでしか成立しません。

この誰かというのは神様の事でしょう。その宗教が何であれ自分の信じるこの世の中を仕切っている何者かが自分の質の良し悪しや行いをジャッジし、そしてそれに対して罰を与えるのですから。

神などは信じないと言う人たちも罰を恐れない人はいません。これは人間の中に潜む罪悪感に関係があるのでしょう。悪い事をするとバチが当たると言うのは誰の中にもある自然の感情なのです。

悪い事をすればバレるのではないか、そして罰せられるのではないかと思います。法や警察の目をかいくぐったとしても上の方から見ている大きな力を持つマスターは見逃すわけがないと知っているのです。

このコンセプトを持っていれば何か不都合な事が起こった時にそれが罰である、と断定するのは難しくありません。

もっと簡単言えば自分は良い人間でないと思っていればいつかは悪い事が起こって大変な事になると言うのは実は本人が決めてしまっている事なのです。

本人が自分にいつかは天罰が当たると思って生きればもちろん天罰は当たるでしょう。そして毎日それに怯えて生きる人生になる事も否めません。

私は自分に起こる不都合な事、すなわち自分が好まない類の事が起こるのを罰だとは思っていません。そしてそれを失敗とも思っていません。

自分に起こる事は全て自分に必要な事です。なぜ不都合な事、そして悪いとされている事が起こるのかと考えた時に答えは一つです。それはそれによって学ぶ事や成長する事を要求されているからです。

学びの機会はチャレンジでなければ意味がありません。もうクリアしたステージではなくまだクリアしていないレベルの何度でなくては意味がないのです。

困難な事が起こったらすぐにこれはテストである、そして新しいステージのチャレンジであると思ってください。

天罰だと思ったり自分は不運であると思う事は必要ありません。そしてそんな事を思わない方がもちろん心理学的にも成功する確率は高いのです。

この世の中を仕切っているマスター。それを神だと言う人もいれば宇宙だと言う人もいるでしょう。偉大なマスターは親のような存在です。

可愛い子には旅をさせろと言います。見込みがあればあるほど困難を克服して成長してほしいと思っているのです。

そしてそれは愛の一部です。マスターはあなたが苦しむ事を望んではいません。困難に出会っても自分を信じて乗り越えて欲しいと思っているのです。

どんなに愛していても困難を与えなければならない親心、それを私たちは理解するべきです。そしてその愛を毎日感じてください。そうすれば毎日の生活はもっともっと意味のあるものになるでしょう。お試しください。





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