宗教、罪と罰



こんにちは!

さて宗教の話でした。ニューヨークシティでセラピストをしているとたくさんの宗教の背景を持った人たちを知る事になります。

世界中から集まってきた人たちがたくさんの文化を持ち込むニューヨークシティ。

そして心の悩みと言うのは人種や国籍を選びません。宗教や文化が私たちの心に与える影響は事実ですが人間の心のあり方や仕組みと言うのは基本的には世界共通で同じなわけです。

悪意、怒りや悲しみ、ミスを犯す事、そしてそれに対する罪悪感や後悔。愛を感じる喜び、快楽の追求、それを再び欲する欲求、依存、うつ、不安感、恐怖、などなど。

さまざまな感情や行い、行いによって生じる結果を成功や失敗などとも呼びます。それによってのさらなる感情の動き。

例えば暴力や殺し合いが毎日行われている環境で育った人たち。世界のどこかではそれが今のこの瞬間も事実ですし、その難を逃れてニューヨークで暮らしている人たちもたくさんいます。

先週のコラムで育った過程で普通だった事がその人の普通になると言いました。

しかしながら誰もが戦争や殺し合いを好みません。それに慣れそれが普通になったからと言ってそれを好むとはならないのです。

難を逃れた人たちの心の葛藤。平和を普通として受け入れるまでの旅は色々です。

私の著作本、「成功の法則ー幸せになるには」(文芸社)にもケースファイルとして書かれています。

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どんな文化で育ち、暴力を受ける事が日常であったから自分にとっては普通であると思っても人間の心は暴力には同じように反応するし、深く傷つくのも事実です。

これには国境も文化の違いも基本的にありません。

そしてよく心の問題となるのが罪の意識や罰の事そして責めの感情です。

言ったようにこれには国境も文化の違いもあまり関係なく存在するのです。人間だけでなくある種の動物にもあるでしょう。

美しいカーペットに粗相をしてしまいガッカリしている犬、罪悪感ですよね。可愛いです。多分愛していればしょうがいないと思って許すのが常ですね。

それだけでなく人間としての良心とはあまり関係ないところで宗教的な理由からの罪悪感やそれによって罰せられるのではないかと思うと言うのは結構あります。

私は宗教と言うのは人間が作った部分が多いと思っています。なので人間が自分の良心を保ちやすいように罪や罰のコンセプトを作ったのだと信じています。

しかしながら本当に元になるのは宇宙の法則だと信じています。もちろん宗教を否定しているわけでは全くありません。

宇宙の法則を徹底させるために宗教が生まれたという風に理解しています。ですがこの辺は人によって理解が違うのでその辺は否定する気はないのです。

だから宗教をフォローする事はある意味で良い事だと思うし、たくさんの人が宗教によって心の平和を手に入れている事実は素晴らしいと思います。

言わば宗教は人間としての良心や尊厳、そう言ったポジティブなものを維持したり伸ばしたりするためにあると思うのです。

そしてそれだけではなくそれを定着させるために良心や尊厳をまっとう出来なかった時には罰が下る、とした方が効果的だと言う考えに至ったのだと思います。

もちろんです。今の社会を見てください。罰と言うシステム、それは牢屋に入る、または死刑になる、などの罰があるからこそ秩序を保ててもいます。

罰なしで私たちが良心や尊厳を守れるのなら罰などは必要ないのです。

でも残念ながら罰のシステムが最も進んだ社会の中で有効と言う事になっています。

と言う事はやはり罰がないと良心や尊厳にステイする事は難しいと言う事は否めないでしょう。

さて明日は人間の良心や尊厳を阻むもの、そして宗教の役目を話します。

素晴らしい1日を!





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