こんにちは!
アメリカでは感謝祭も終わりクリスマスカラー一色になる季節です。子供たちはクリスマスを考えてワクワクしたり街の彩りと共に本当にマジカルな気持ちになります。
こんな季節を皆さんも真にエンジョイできますように。お祈り申し上げます。
さて、私はご存知の通りミシガン大学にて社会福祉の修士号を持ち訓練も実践の経験もあるカウンセラーです。
何度も書きましたがその私が催眠療法に出会ったのは偶然でした。催眠の事など何も知らないでいた2011年、シンガポールに住んでいた時です。
当時の夫の勧めにより私たちは私の死んだ妹の子供たちを養子にしました。日本とアメリカの法のシステムの違いからアメリカでのビザの取得が困難だったために養子の子供たちのために他国に住む事になり、シンガポールに移住したのでした。
養子の子供たちは18歳と13歳でした。私が産んだ双子はわずか17ヶ月でした。子供がゼロから一気に4人になりしかも全く知らない国に移住した事はもちろん私たち夫婦にはチャレンジでした。
シンガポールと言う小さい国に住んだ事でビルの28階に初めて住む事となりポッカリと口を開けているダストシューター(ゴミを投げる穴)や全くチャイルドプルーフのない窓は簡単に全開する状況に高所恐怖症だった私はすっかりパニックに陥ったのでした。
恐怖症なら催眠が効くだろうと言う推測から催眠療法に助けを求めたのでした。この時には無職で6年目でした。
カウンセラーとしてのキャリアを全うしなかった理由はもちろん突然の妹の死とカウンセリングのとてもマイルドな効き目に絶望したからでした。
もっと効くものはないかと自分でEMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing)なども試してみましたがやっぱり納得のいくレベルではありませんでした。
人の人生が開けたり明らかに変わったと言う実感が欲しかったのです。それはもちろんプロとしてだけでなく自分の人生も含めてでした。
そうです。今はこんな仕事をしていていつも前向きなように見えるかも知れませんがあの頃は本当に辛く暗い時期だったのです。大きな穴に入り込んで入り口は愚か何も見えない霧の中に住んでいたような状態でした。
催眠療法に出会いその効果に感嘆すると共にこれを使えば自分の納得のいく仕事が出来ると確信しました。
それからは個人開業をして少しづつ経験を重ねていく度に催眠のすごさに気がつかされもっともっとたくさんの人たちを助けたいと思うばかりです。
自分が知っていただけでなく催眠療法士としての経験が催眠の可能性や実績をゆるぎないものにするのでした。
今まで催眠の力を疑ったりした事は一度もなく、すごさを日々実感するばかりなのです。
それだけでなく私の人生も劇的に変わりました。8年間無職から今ではビジネスを持ってニューヨークでセッションをしながら日本では既に著作本を出版し、アメリカでも2020年の1月3日の出版を待っているばかりです。
もっと言えば私は日本の高知県の室戸市という小さな町の出身です。親や祖父母の代までみんながみんなを知っているような小さい町で生まれました。
18歳で東京に出て、どういう訳かもう高知どころか日本を発って20年になろうとしています。それからはニューヨークを拠点に修士号取得のためにミシガンに、それからシンガポールに。これを運命と言わずしてなんというのであろうかと思うばかりです。
しかも小学校3年生の作文に西洋人と結婚して男の子と女の子の双子を産むと書いたのですがそれも実は現実となりました。
作家になるという夢はありませんでしたがなれるのではないかとは何度か思った事は実はあります。でもそのために何かやっていたとか文章を書いていたとかはないですね。
だから自分に本が書けるとは少なくても「意識」のレベルでは本が書けるとは思っていませんでした。それなのに本を書いたらどうかと言われるうちにある日突然書いてみようと書き始めたら書けてしまったというのが正直な感じです。
書き始めてからこれがまた不思議な事に私の頭に自分の著作本の表紙が浮かぶようになったのです。
今考えるとそんな事は日常的に起こっていたと思います。イメージが浮かんだりメッセージが来たり。
でもそんな事は起こらない。霊感やらメッセージなどと言うものはない、と言うシステムの中で育てられた私はイメージが浮かんだりメッセージが来たりする側から全てを却下して採用しないと言うシステムを作り上げていたのでした。
なのでイメージやらが浮かんでくる事は当たり前の状況だったのにそれを採用しなかったと言った方が正しい状況でした。
著作本の表紙が浮かんできた件はポジティブビジュアリゼーションと言われる脳の機能の一種だそうで誰にでも起こり得る事と後で聞きました。
そしてその経験から自然にその時、今書いている本は出版されると確信したのでした。
もちろん書き始めたばかりで出版界にコネもなく出版の計画など全然ありませんでした。普通ならそんな状態では本を書き始めないかも知れませんね。
でも催眠療法や人生などについて情熱的に語っているうちにニューヨークのローカル新聞などに取り上げられたり複数の方たちに講演をしたらどうか、とか本を書いたらどうか、と言われる事が多くなりそのうちに書き始めてしまったと言う感じなのです。
そして本を書き始めてから多分5ヶ月くらいで文芸社という出版社と契約するにいたりしました。ネットの検索で上がった出版社にシンプルにメールをするというような感じでした。
最初は本の内容をまとめたものを送ったように思います。そして原稿が全部完成していないうちに原稿を送るという段になり急いで仕上げた覚えがあります。
この本は「成功の法則ー幸せになるには」という本でこの本の編集の方は業界でも伝説の方なのです。例の血液型の本、4冊のシリーズで600万部を売り上げた本の編集者なのです。
素晴らしい方で一緒に仕事をさせて頂いた事は私の人生での名誉の一つです。本を書いたこともないのにこんな素晴らしい方と組まさせて頂いた感動は表現しきれません。
そして講演をやったらどうですか、とよく言っていただいた件なのですが。ニューヨークのラジオに10回以上の生出演を果たしました。
最初は8分間のテストで、そのうちに30分、一時間という枠になりました。パーソナリティの方々も著名な方たちで一緒に仕事をさせて頂いた事は本当に名誉です。
日本の小さな町の出身でアメリカのニューヨークのラジオ局に英語で生出演するというのはよく考えてみると突拍子もない事です。
生出演で緊張しないかとか聞かれた覚えがあります。でも思ったのです。セッションは普通に英語と日本語でやっています。
そしてセッションで話す事とラジオで話す事は基本的に同じです。一人に話すのと大勢のラジオのリスナーに話すことは違った内容になると思いますか。
そうではないですよね。基本的に同じコンテンツですからいつ話してくださいと言われても話すことができるわけです。
セッションで患者さん一人に話す時の自分とラジオのリスナーやラジオのパーソナリティの方の質問に答える自分はもちろん同じなのです。
人によって態度を変えたり自分の話す事は基本的に変えないですよね。それならばいつだって同じ自分、同じ内容。だから今すぐラジオで話してくださいと言われてもはい、良いですよ、と言えます。
ニューヨークのマンハッタンのオフィスでセッションをしながらスカイプセッションではヨーロッパや南米、日本やアメリカの他州ともセッションを行なっています。
日本人だけでなくアメリカ人や外国人の方たちも多くなり著作本も英語で書いたものはないのか、と聞かれる事が多くなり英語の本を電子書籍か何かで出版しようと思った矢先にメールを頂きそのメールがもとでこの度アメリカで英語の本を出版する事になりました。
2020年、1月3日に出版の予定です。タイトルは「Rules for Success–How to live happily」です。
この本の翻訳に関わった方にも感銘したと言っていただき本当に嬉しい限りです。
さて皆さん、人生を変えるのに遅すぎる事はありません。是非お手伝いさせてください。お待ちしております!
素晴らしい1日を!
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