こんにちは!
昨日のコラムでは私の育った環境での仏教について述べていました。そして先述もしたように私はいかなる宗教も批判していません。
患者さんの中にもたくさんの宗教のバックグラウンドを持っている人たちがいますが宗教を否定する事はありません。
宗教に対する解釈などで悩んだり自分を責めたりしている人を助けたりもしていますがあくまでその人の立ち位置に沿ってセラピーをしています。
もっと言えば宗教を信じる人、科学だけを信じる人、たくさんの考え方の中でその人にあったセラピーをするのが常です。
宗教に関わらず、どんな考え方でも自分の考え方を全く変えたくないならセラピーに来る意味はないと言えます。
そんな場合は自分を変えたいと思う時に来てくださいね、となりますね。
さて、仏教の基本的なコンセプトである人生は修行であるです。
このコンセプトを知ってから私の育った環境での常識が宗教に影響されている事を知りました。
人生は修行である。私の育った環境を思い起こすとなるほどと思うのでした。そしてそれは如実に理解できました。
子供の頃、なんとなく暗黙の了解として楽しむのは良い事でないと言う印象がありました。
遠足などで家を出る時も先生の言う事を聞きなさい、人に迷惑をかける事をしないようにと言う注意事項はもらいましたが楽しんで来なさいと言われた記憶は全くありません。
それは今、アメリカで子供を持っていると如実に違いを理解します。いつも楽しんでね、と言って送り出しています。
うちの子供たちは本当に楽しい事が中心の生活を送っています。
私が子供の頃はもちろん子供だからどこかに行けば楽しいのですが親からは迷惑をかけないと言うプレッシャーをもらう事が常でした。
東洋人、特に東アジア人と言うのは何事にもとても真剣に取り組むし時に深刻すぎるようにも見えます。
修行である人生に真剣に取り組むのは当然とも言えるかも知れません。
興味深いのですが民族や宗教の背景によってポジティブになりやすいとかなりにくいはやっぱりあります。
同じアジア人でも東南アジアの方たちはキリスト教の影響が強いせいか東アジアの方たちとは違うように思います。
もちろん一概にはどの民族が早くポジティブになるとかならないとか言えませんが私のセラピーの経験からやっぱり傾向はあると思います。
根強く自分の非を信じたり、割と早く自分は本当は素晴らしいんだと気がついたり、やっぱり文化は私たちの心のあり方に強い影響を与えていると思います。
そしてまた文化に関係なく、子供は本当に柔軟だし、エネルギーが大人とは全然違います。子供は人生を楽しむものなのです。と言うか楽しみやすいのです。
たくさんの映画やテレビでもそうですが子供と言うのは魂がきれいだとか不思議な感覚があるとされています。
実はそうらしいのです。
例の第三の目と言われる額の真ん中にあるとされる目ですがこれは単なるイメージではなく科学的にも裏付けがあります。
右脳と左脳の真ん中にあるこの松果体という器官はまさしく額の真ん中にあり第二次性徴期に入るまでは活発なのだそうです。
動物はこの松果体がずっと活発なままなのだそうです。だから地震の前に逃げ出したり予感のようなもので難を逃れたりします。
人間の大人には見えないイメージやエネルギーを感じたり出来ると言う事です。
科学的には人間の子供の松果体も第二次性徴期まで活発だそうなので動物と同じようにイメージやエネルギーを感じる事ができるはずです。
そして人間では性ホルモンの爆発増加によってこの松果体は機能を失くすのだそうです。
そうです。犬や猫、家畜などにも不思議な能力がありこれから起こる天災などを予知して避難したりします。
人間には何も見えない空間に向かって吠えている犬などがよくホラー映画などに出てきますよね。
これは動物が私たちの目には見えないエネルギーを感じる事が出来ると言う信仰に基づいたものです。
エネルギーは英語でコンシャスネス(意識)と言われる事もあります。すなわち私たちの感情や記憶と言ったような私たちの個人的な意識の事です。
身体がなくなってもこの意識というものは存在するのではないかという考え方は根強く残っています。
記憶って脳だけじゃないの、と思いますか。でも臓器移植などで他の人の臓器をもらうとその人の記憶が蘇る事があるというのは本当です。
そして人間が死ぬ前と後ではミクロのレベルで重さが軽くなるそうでこれが命の重さでないかと言われています。
記憶や意識もこの命の中に含まれているのではないかとも言われていますね。
そしてこの命の事を魂とかスピリットとかエネルギーとか色々な呼び方をするのです。
続きは明日のコラムで!
素晴らしい1日を!
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