責めと後悔の法則

Updated: Apr 28, 2020

こんにちは!

毎日の生活の中でどうすれば自分の人生が良くなるのだろう、とか自分の何がいけないんだろう、とか思う事がありますか。

もしそうだとしたら今日のこのコラムが助けになるかも知れません。

人生においてのチャレンジは避ける事が出来ません。楽しい事もたくさんあるけれどもチャレンジもあるのが人生ですね。

それは年端のいかない子供でも同じです。成長するにつれていろいろな事情やこちらを立てればこちらが立たないなどの状況を経験します。

そしてもう一度言います。それが人生なのです。チャレンジの全くない人生を歩んでいる人がいるとしたらそれはきっと嘘でしょう。

でもチャレンジが全くないように見える人たちはたくさんいると思います。私も実はそう言われます。何もかも上手くいっているいるように見える、などとよく言われますがチャレンジは実は満載です。

しかしながらいつも言うようにチャレンジをマイナスと取るのかそれをプラス、すなわち学びの機会として取るのかはその人次第なのです。

人生におけるチャレンジとは多分、個人個人によってそんなに差はないと思います。もちろん人と違うと言うか奇異な人生を歩む人がいるのは確かです。

実は私も自分でそうだと思うのですが。日本のとても小さな町で生まれていつの間にかニューヨークでビジネスを持って家族と暮らしていると言うだけでも信じられないと思うのですが日米で本を出版した事もですね。

実の妹の死からその子供たちをティーンエイジャーで養子にして実子の二人を含めて4人の子供の母である事だけでも多分普通ではない人生を送っているのだと思います。

個人的な事なので全てを書けませんがこの他にもたくさんの普通でないことは私の人生に常に起こりがちなのです。

占星術でも占いでもいつもそういった事を言われます。占星術ではグランドクロスというとても変わった星回りだそうで。この星回りにはいつもチャレンジや普通でない事がつきまとうんだそうですね。

他の占いでも霊号星人と言って生まれた年が大殺界だという変わった星回りだそうです。数秘学でもそうなようです。マスターナンバーと言って全能の数字をいくつか持っているんだそうでそれも患者さんで数秘学に凝っている方に聞いたのですが。

まあ、考えてみれば占星術も占いも数秘学でさえ生まれた日に基づいて計算されますから生まれた日が多分、特別なのでしょう。

生まれた日とはこの世に登場した日なのでやはり科学的な事だけでなくスピリチュアルな面でも意味は大きいのではないかと思います。

でもこれも分かりませんね。双子を持つ母としては同じ日の同じ時間に生まれている二人の運命や特徴が同じかと言えばそうではありませんから。

とにかく変わった事が起こる人生というのはあって私だけでなく私のところにいらっしゃる方々中にも本当に奇異な人生を送っていらっしゃる方々がいるのは確かですね。

さて、人生とはチャレンジの連続である。それが普通なのです。でも忘れてはいけません。人生における喜びはそれは計り知れません。

単純に言えばこの世の創造者、それが何であっても私たちを苦しみのためにこの世に招いたのではない事は確かでしょう。

実は人生においてチャレンジがあっても喜びを見出したり喜びにずっとフォーカスして生きる事、それをどうやって達成するかを私たちに教えるために人生を歩ませているのかも知れませんね。

その方がずっとつじつまが合います。人生において喜びを見出したり抱き続ける方法を学ぶ。それは幸せな生き方ですから。

実は私の著作本や個人開業しているセラピーの目的もそうです。著作本は日米で発売されていますので興味のある方は検索してみてください。日米のアマゾンで買えます。

日本のアマゾンではエミッグ美津でアメリカのアマゾンではMitsu Emigで検索すれば出てきます。ニューヨークにいらっしゃる事があれば気軽に声をお掛けくださいね、サイン致します!

さてこの世の創造者、宇宙も推奨する幸せな生き方、すなわち人生の喜びにフォーカスする生き方がどうやったら達成できるかです。

1.他の人を責めない

人生に起こる事全てはあなたにとって必要な事です。先ほども言ったように宇宙はあなたに無駄に嫌な思いをさせるわけがありません。そうではないですか。

もしあなたの人生でこの試練は全く無駄だった、と思う事があるとしたらそれはあなたの勘違いだという事になります。だって宇宙は学びの機会を与えたのですから。

学ばないで、どうしてこんな事になったの、と嘆いていれば学んでいない、と取られてしまいますから似たような試練はまた起こるでしょう。

ゲームと同じですから今のステージをクリアしないと次のステージには行けませんから。

さてあなたに起こる事は全て必要な事です。学びの機会だからですね。そうすると何か起こった時に誰かのせいにするのは完全な遠回りとなります。

どうしてかと言うと誰かのせいにしたり誰かを責めると言うのは自分で責任を取らない事です。自分ではなく誰かのせいなのですから。

自分は教育のない親に育てられたからダメだとか。田舎者だからダメだ、とか。果てはあの女(男)に人生をめちゃめちゃにされた、とか。

人生にはいろいろな事が起こりますから、事柄によっては修復するのに自分の能力を超えているのではないかと思う事が起こるのもあり得るのです。

大変だと思えば思うほど人間は誰かのせいにします。そうすれば自分で修復する必要はなくなるのですから。

誰かを責めている限り自分で前向きに直そうとかやり直そうとか思えません。そしてそれはとても無駄な時間です。

どうしてかと言えば修復は自分でけりを付ける、責任を取る、と決心したところから始まりますから誰かを責めていればそのスタートラインにも立てないのです。

私たちの中には誰かを責めたまま人生を終える人たちもいます。離婚さえしなければ今もお金があった、今も幸せな生活があった、とか。

その離婚も例えば相手から言い出されたりしていると余計です。相手を責めて相手のせいにします。するとそれを嘆いて一生が終わる場合もあるのです。