
運が悪いと思うと繰り返す理由
こんにちは!
前向きに生きる話をしたら反響をいただきありがとうございます!いつも前向きな考え方の話は皆さんの興味を引くようです。素晴らしいですね。
時折、患者さんなどが今度こそ前向きに自分を保ったのにどうして上手くいかなかったのか分からないと言ったりします。
でも前向きに保とうと思う時点で多分もう前向きではないのですよね。もう前向きならそんなことは考えませんから。
それだけではなく何かを上手くいかせようと思ってもうまくいかないことは多々あります。
そしてそれは決して悪い事ではないと私は信じています。
世の中で上手くいかないと言われていることというのは実は私たちがこうなりたいとかこうしたいと思っている事でそれはまさしくコントロールの問題です。
自分の都合でこうしたいと思っている事は自分の都合ですからそれが成功しない事はあると言わねばいけません。
何事も自分のレベルだけでものごとを考えると思い通りにならないと思う事は多々あるでしょう。
でもそれはもっと大きな目で見ればとても素晴らしい理由があり実現しなかったと言えます。
実現しない事でたくさんの事を学んだり、後であの時に実現しなくて良かったと思う事があるはずなのですがたくさんの人たちがそうは思えないのです。
そこでがっかりしたりもっと悪い場合はバチが当たったとか罰だとか、運が悪いとか勝手に決めてしまったりすると、全く学びになりません。
すると学んでないからもっと学ばせようとなるかも知れません。それが同じような不都合な出来事が繰り返し起こる理由かも知れませんね。
起こらなくて残念だと思う事、それは実は個人的な利益の場合ではありませんか。
個人的な利益ならこの世界で起こるべき素晴らしい事、この世のためになる事よりも優先順位は低いはずでもあります。
なら起こらない確率は高いかも知れませんね。
そして前向きな生き方の話をすると前向きでいなければ、と思う人がいます。
後ろ向きだと思われたくないとか落ち込んではいけないと大きなプレッシャーを持ったり。
でも人間である以上良い日も悪い日もあります。毎日が快晴であると言う人はきっといません。
そんな事はお釈迦様でもないわけです。だってお釈迦様は修行しても修行しても人々の苦しみがなくならない事に悲嘆にくれ涙を流したと言います。
その右の目の涙からは白ターラ、左の目の涙からは緑ターラが生まれたと言います。
実はこの緑ターラにまつわる話が私の人生で起こって私の人生観を変えたのですよね。だからこの話を知っているのです。
その詳細は私の著作本、「成功の法則ー幸せになるには」(文芸社)に書いてあります。
この本の契約をこの度更新しましたので売り切れの場合は予約してみてください。もうすぐ本屋さんに出回る予定です。
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さて、はっきり言って前向きである必要などありません!前向きになりたくない方はならないでくださいね!
嫌なものは断固として嫌と主張してください!そしてはっきりと相手に言ってやってください。
え、そんな事言って良いの?と思いますか?
でも本当です。
前向きと言う事は自分に嘘をついたり自分の感情を無視する事では到底ないのです。
前向きと言うのはそれが何であれ本当に自分、ありのままの自分を受け入れる事なのです。
受け入れると言うのは簡単ではないですよ。開き直るのではないですから。
受け入れるのはそれで良いんだ、そのままで、と自分に心底言う事ができる状態です。
ありのままの自分をそのまま受け入れる。それが不完全で不格好でも。これって究極の自己尊厳ですよね。
いっぺんにそこまで行かなくてもまず落ち込んだり後ろ向きになったらそんな自分を受け入れて抱きしめてあげてください。
そこから始まるものは大きいですよ。
嫌な気持ちになりたくないと自分を否定したり不甲斐ないとおとしめがちになりますがそんな自分こそ受け入れる。それが実は本当の強さでもあります。
やっぱり自分とはどんな時も受け入れる事です。
基本ですね。お試しください!
さて子育ての話です。では子供にこんな風になってもらいたいと思ったらこんな風になってもらいたいと思うような行動パターンを子供に教え込むしかありません。
教え込むとは言って聞かせることではないですよね。言ったって親がやってないとそれはおかしいとなりませんか。
毎日やってそれを日常ですよ、と毎日示すことです。そうです、あなた自身がやることですね。
あなたが不完全でも自分を受け入れていつくしむ事をずっとすれば子供もそれが普通だと思うのです。
子供とはそれがどんなに突拍子もないことだとしても毎日家でそれが起こっていればそれが普通になるのです。
だから毎日殴られれば、毎日殴られるのは当たり前、そして殴るような人と一緒になったりします。
自分を受け入れるあなたを見て育てばもちろん不完全な自分を愛する、自分と向き合う事を覚えて育つでしょう。
自分を受け入れられず自分を嫌いだとするとそれを学ぶのです。