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養子、離婚、そして本の出版契約


こんにちは!


さて田舎生まれで流れ流れて今ニューヨークで養子を含む4人の子供たちと暮らしている私。小学校3年生の時に書いた作文での通りに外国人と結婚して男女の双子も出産しました。


養子は想定外でした。小学校の作文には書きませんでしたし夢にも考えていませんでした。


しかしながら妹の突然の死が全てを変えたのです。修士号の最終学期に亡くなった妹の子供たちは父親とは疎遠でした。


その時結婚していた今では元夫の発案で養子にする事になったのです。養子にした時は上の娘が18歳で弟とセットでないと養子にできない年齢でしたし18歳がリミットでもありました。


1月に誕生日が来ると19歳になってしまうと言うので私は双子を妊娠中のギリギリの状態で日本に養子の面接に行ったのでした。


この辺の事は著作本、「成功の法則ー幸せになるには」(文芸社)に書いてありますのでアマゾンで見てね。


こちらです。




この時も周りは双子だから飛行機に乗らない方がいい破水して流産するだろうとか色々な事を言われたものです。


でも日本に行く事に全然迷いはありませんでした。




結局、養子は完了したもののアメリカのビザが出なかったためにシンガポールに一家で引っ越し。


色々な理由でシンガポールになったのですがそこで催眠療法に行った理由は実は高所恐怖症だったのに28階のペントハウスに住んでしかもチャイルドプルーフもなしで窓は全開するし恐怖だったのです。


生まれた男女の双子は1歳でした。


この辺の事は本にたくさん書いたので是非読んでください。




養子たちも母親を亡くし慣れない海外生活で本当に大変な思いをしたようです。今は立派にニューヨークで生きています。




そして私の結婚は崩壊し別居になったのもシンガポールです。その時にも別居する事に本当に迷いはなかったのですよね。


どうしてなのか分かりません。帰ってきて欲しいとかやり直したいとか言うのが本当になかったのです。


周りからのプレッシャーはすごくありました。まず自分のセラピストからもあんな夫はもう見つからないから何とかして元に戻った方が良いと言われた始末です。




私は怒ってしまい私の将来にもっとポジティブだったら良かったのにと彼女に言ったものでした。


だから自分よりもポジティブな人がセラピストでないとおかしいと思うのですよ。


より良い将来にするにはポジティブな人と話した方が良いと思いますものね。セラピストならなおさらです。


皆さんもポジティブで幸せなセラピストを選んでくださいね。



年齢を考えたり8年間も無職だった事を考えると離婚はとにかくリスキーだったのになぜか元夫にも言われるほどあっさりとしていた私なのでした。


今思うと起こるべくして起こる事と言うのはそんな感じなのだと思うのです。


別居や離婚がなかったら今の仕事に今ほど真剣にやったかどうか分かりません。


それだけではなく本を日本でもアメリカでも出版したり色々な決断の中で誰かに相談したいとかそんなのもなかったです。


本も決まっていたような感じで契約があっちからやって来たし、それに対して迷いやちゅうちょは全くなかったです。



でも実は何かのおりに出版の事を話すとネガティブな事を言われたりするのですよ。でも私の決心は変わりませんでした。


そして例えば別居や離婚がなかったらこの決断を一人でする事も出来なかったのだと思うとまるで考えられないと思うのです。


何でも一人で決めて契約書にもさっさとハンコを押してと言う感じでした。


それまでの人生では結婚していた時は何でも夫に頼って書類なんか読んだ事もなかったのですよね。


だから不思議なものです。


さて明日に続きます。


素晴らしい1日を!!





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