
過小評価される美徳
最近、エネルギー(感情)について考える事があったので書きたいと思います。それは許しと正当化の事です。許しと正当化は本当に違うものだと思います。 例えば誰かがあなたの事を許した時、それだけであなたの間違いが正当化されたり取り消されたりする事はないのです。過激なケースですが例えばレイプの被害者の方々は自分の中の負の感情を手放す事が難しいのです。 それがどんなに難しい事か想像を超えていると思います。誰かが自分の許可なしに個人的なスペースに入り込み最悪の形で暴力を振るう。本当にひどい事です。 私の仕事は患者さんが自分の中の負の感情を手放すのを手伝う事です。しかしながらこの感情の手放しがレイプを正当化すると思うと手放しは不可能になります。 もちろん被害者の負の感情の手放しが加害者の犯した罪を正当化する事はありません。どんな事があっても間違った行いはそこにあるしあり続けるのです。 しかしながら負の感情を自分の中にキープする事がレイプ犯を苦しめたり罰したりする事にならないばかりかその負の感情は被害者にとっても何も得な事はないのです。 もっと言えば被害者が許さな